富士登山ルポ2000

なぜ登ったの?と、登頂後よく聞かれました。

3年ほど前に知人が登りまして、その時の全員が山頂で泣いたという話を聞き、まー、日本人の殆どの人が何となく富士山を意識しているのと同じぐらいの感覚しか自分も持ってなかったのですが、「登ってみたい」そして「泣いてみたい」「泣かせてもらおうじゃないの」と思うようになったのです。

それから何となく月日は流れ、昨年、「そうだ、富士山へ行くんだった!!」と思い出したのが8月も末日。 山開きが、7、8月の2ヶ月しかないとその時知り、断念。

年が明け、冬のうちから「今年こそは!!」と心に決め、体のダメージや御来光のことも考慮し、連休の前日。そうすると、7月の第3日曜日に早々に日程を決めました。 準備を進めていると偶然にもその日は生きているうちに日本で見える最後の月食の日。演出も出そろいました。

梅雨明けの日が、微妙に重なり合いながら向かえた当日、前日までの降水確率40%も吹っ飛ばし、天気良好!! 店のスタッフだけで行こうとしていたのですが参加者が増え、1人経験者も入れての総勢14人。 バタバタと夕刻迫る東京を出発し、中央道をいざ河口湖へ・・・・ 登るルートは4つあり、今日は少しでも土地勘のある河口湖口を選んだので富士スバルラインを抜け、五合目駐車場に着いたのが午後9時。

下界のうだるような暑さとはうってかわって少し肌寒く、月も左上から少しずつかけ始めております。はやる気持ちを抑え、いざ出発!! 和気あいあいと話も弾み30分もしないうちに6合目到着。これなら楽勝!!と思った自分を、その後何度後悔したことか・・・・

月が完全に地球の影に入りオレンジ色に美しく浮かび上がった頃には、皆、月を見る余裕が消え、先程まで「あっ流れ星!!」とはしゃいでいた者も息切れで下を向いて、ただ先へ歩くのみとなりました。 7合目を過ぎ、8合目になる頃には、隊列を崩さないよう気を付けていたのに大きく3つぐらいに分かれていて、トップと最後尾の差は1時間近くも開いてしまいました。この頃から山小屋が100mおきぐらいに現れ、通過するたびに5合目で買った木の杖に焼き印を押してもらいます(200円)。トイレも有料で1回/100円。水も買うと350ml、600円!! 下界の約5倍。まーそこまで運ぶ人件費と手間を考えれば仕方のないことですが・・・
外人は怒ってた。

「ウォラーイズシックスハンドレッドエ〜ン!!」

次の山小屋をとりあえずめどに出発。 が、ここで少し落とし穴。 8合目が名前を変えて約5カ所くらいあり、登っても登っても8合目。 (7合目、本7合目、8合目下、8合目、本8合目、8合目5勺) さぁ、この頃には会話はありません。 時は既に午前2時。 疲れもピークになり、高山病にかかった者も出はじめ、日本一の山の恐ろしさをここに来て、思い知らされ始めました。そこで助けられたのが甘い物。チョコやキャラメル、黒糖アメ。そしてぐちゃぐちゃに潰れたおにぎり。エネルギーを補給しながら、倒れそうになるメンバーを「もうすぐ次の山小屋に着くから」とかだましだまし、本8合目の富士山ホテル到着(ホテルとは名ばかりの山小屋)。 当初、もし脱落者が出た場合に2名分だけ予約を入れておいた所です。

ここに至って、本当に2名の高山病が出てしまい、一人はもうすでに質問の受け答えも出来なくなっていました。(おもな症状は頭痛、吐き気、倦怠感。死に至ることもある。) ここまで登ったのに、止める勇気も大切なのですが、何とか全員で登頂したい、御来光を見たい、二度と来ないかも知れないし、断念した物がこの先、後悔が続くかも知れないし・・・・などと考えていると、つい口から、

「おぶってでも登ろうよ!!」(何を言っているんだ)

間髪を入れず、妻が

「荷物を持ってあげるから行こうよ!!」(誰が?)

「あと、30分ぐらいで着くよ」(うそ)

返事も待たずに荷物を奪い取り(高山病のため意識があまりないので)、やめる勇気など、どこ吹く風で(本人、辛かっただろうナー・・・)再び出発。 (後に本人から聞くところによると、この時の記憶は全くないそうです。)

少し白々してきた東の空を背に、ひたすら登る登る。ふたたび、トイレ休憩を取るも、高山病の人は、少しでも足手まといにならないようにか、休まず、牛歩状態で先に進むのですが、またすぐに追いつき、かけ声をかけながら、崖から落ちないよう列の真ん中に入れ、登る。ひたすら登る。

9合目最後の山小屋を目指している時1人から悲鳴、両ひざ肉ばなれ。「痛い!!もう歩けない!!」と倒れ込んで泣きそうになっています。 筋を伸ばしたりして時間をかけ回復を待ちましたが、「ここまでか・・・」という思いが。坂道は登るのより、降りる方が筋肉を使いダメージがあるので、「先に行って・・・」という本人に、とりあえず、この上の山小屋で待っているから、来れるようになったら来て、無理なら下の小屋で待っているように指示して心配をしながらとりあえず上へ。最後尾のメンバーと共に上がりました。

そこで、ついに日の出を向かえることが出来ました。雲海がオレンジにつつまれ、いまかいまかと気持ちが高ぶってピークを迎えたとき、ついに太陽が! (ここで不思議だったのが、あり得ない事なのですが、雲海の途中からヌゥーっと出たのです。太陽が・・・標高のせいかはたまた大気のいたずらか、太陽の向こうにも雲海があるのです。分かる?この意味!?)

この瞬間、時は止まり、荘厳な空気の中、あまりにも美しい儀式に、皆、見とれてしまいました。

 


感動の渦の中、歓喜の声を上げる者、涙ぐむ者、手を合わせる者。シャッターを切るのも忘れて見入っていると、先程の肉離れをした者が下の方から登ってくるのが見えるではないですか。


この時、先頭チームは、もう既に頂上で御来光。(頂上は御来光の時、「君が代」が流れるらしい。) 真ん中のチームははぐれ、一人一人バラバラで心細く見ていたそうです。ここまで来れば(9合目)もうすぐ頂上かと思いきや、なかなか着かないのです。目の前(上)に頂上が見えているのに。

今まで暗くて見えなかった分、目標が見えていると、本当に自分たちが進んでいないのが分かるのです。 御来光から1時間あまり、ついに山頂入り口の鳥居をくぐります。

先に着いていた人達の出迎えを受け、こみ上げてくる達成感・・・・辛かったことや、全員が登れたことなどがぐちゃぐちゃになり、頬を熱いものが・・・・

「これなんだ・・・3年前に聞いたことの答えは・・・・」

これを確認するために周りを巻き込んで決行した今日の登山なのですが、想像を超える自然の美しさ、厳しさ(もっと凄いところに行っている人達すいません)の中で自己と闘い、また、チームワークの大切さも山に教えてもらいました。

  

山頂は、ポッカリあいた火口の回りに山小屋が数軒あり、体力の残っている者は、お鉢巡り(火口周辺をぐるっと回る)をし、疲れた者は仮眠を取ったり、1200円するおでんを食べたりして2時間くらい頂上を楽しんだあと、下山です。

しかし、これがまた辛いの辛くないの!! 単調な下り坂を、膝をガクガクいわせながら(膝が笑うとはこのこと)、砂利の中をひたすらおります。

登るときは目標がありましたから勢いがありますが、下りは魂は抜けてるし、膝は痛いし、辛い・・・本当に・・・

登り8時間、下り6時間と我々は「寝ないで御来光コース」でしたが、昼から登り始め、途中、山小屋で仮眠をして御来光というコースもあります(眠ると高山病になりやすいという説もあり)。

いろいろな人生を背負って壁にぶつかったり、迷路に入っていたりと、悲喜こもごものメンバーでしたが、何かこう自信に繋がるものが出来たのではないかと思っております(もう忘れてるかな?)。 そして、下りに、二度と来るもんかとも思いましたが下山翌朝、激痛が体中を走る中、「また行きたいなー」と思わせる山・・・

あなたも一度いかがですか?

登らぬ阿呆、二度登る阿呆という言葉が富士にはあるらしいです。


P.S. 今回参加しなかったメンバーがトライしたところ、5人中4人が高山病で9合目で断念した人。登ったがお盆で人ごみにまみれ、山頂2分、御来光は人の頭の間からわずかに・・・もう二度と来るもんかという人。
こうゆう方達もいらっしゃいますので・・・・

2000年 夏