インドレポート2000
その1

  

今回のインド行きは自分の中の旅への一つの区切りでもありました。
23歳の時、藤原新也著の「東京漂流」「全東洋街道」に触発され、初の海外旅行をインドに決め、知識、経験のないまま、格安航空券を手にして、デリー、カルカッタ間を一ヶ月かけて周りました。虫やスリ、悪徳商人と闘いながら、バックパッカーを気取った自分に酔い、中途半端に終わらせた旅への。
後に、自分を形成する上で得たものも多かったのは確かですが。 宗教色の濃い北にはない楽園、ビーチ「ゴア」・・・・ 行き残したインド、それは前回の旅行中にたびたび耳にした地名でした。
ANAのマイルでインド行きが偶然決まり(これには妻の多大な理解がありましたが)、ボンベイに向け計画が進む上で、「ゴア」行きはとてもすんなりと決まりました。その間600km。
知人のイタリア料理のシェフ、ハギワラ氏(この人物は料理の鉄人とやって勝った男)を誘い、4月13日から、ほんの一週間ではありましたが旅立ちました・・・ 羽田、関空を経由し、ボンベイ(現在はイギリス植民地時代の読み方に変更、ムンバイと呼ばれています)まで約10時間。ドロドロの胃と二日酔いの頭を抱え、スラム街の中にあるサハール空港に到着。

グッタリとした赤子を抱いた少女のホームレスの歓迎は前回の時と変わらず、我々を乗せたリクシャは、アラビア海に面したサン・アド・サンホテルへ。すぐさまビーチに降りていくと、一分としないうちにいろいろな売人に囲まれる。この国では非合法ながらタバコを買うよりガンジャが簡単に手にはいることを思い出す(買ってませんよ)。

 

タンドリ・チキンとケバブに舌鼓を打ち、いよいよ明日のゴアに向け、眠りに落ちる。 翌日、今度は国内線のサンタ・クルズ空港へ。(今回は日程のことを考えて、10時間かかる列車を止め、1時間の飛行機にする。)快適な7000ルピーのビジネスクラスの窓から赤土と白い砂漠のゴアがついに見えてきました。
多少、観光地化されているとはいえ、まだまだ素朴な田舎を残しているゴアは、点在しているビーチで出来ており、

その中でも一番ヒッピービーチとして有名なアンジェナビーチは

  

ゴアテクノの言葉通り、ある種、荘厳な香りを立てて横たわっていました。
15年くらい前は世界中からヒッピーが集まり、生活をし(まるで小説「ザ・ビーチ」の様に)、ぶっ飛びまくっていた浜は少しの面影を残しつつ、観光地化もほどほどに、風が優しく、風鈴を奏でていました。
我々の短い隠れ家は「タージ・ホリディ・ヴィレッヂ」というコテージで、映画「インド夜想」で最後の舞台となったホテルの隣(作りは同タイプ)、プール・ビーチつき一泊一万円!

 

前回の一泊500円の貧乏旅行に比べればはるかに高額ですが、もう38歳、体力も気力もないし、貧乏くさいのもなんだかな、と奮発してしまいましたが、ここが結果的には大正解でした。
これから向かおうとしていた失われた国ハンピへの唯一の交通手段の寝台バスが需要がないためうち切られていて、そのホテルでタクシーをチャーターすることが出来たからです。

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